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明治25年(西暦1892)の正月、34歳の尾崎行雄(咢堂)から九鬼に年賀状が届いた

年賀状の文面は、前年(明治24年)の衆議院解散の無念を伝えている。

明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法が公布された。
翌23年(1890)、第1回衆議院選挙。尾崎行雄は三重第5区から出馬し、当選を果たした。しかし、その翌年明治24年(1891)、議会は解散となった。そしてこの年(明治25年)、第二回の総選挙が行われることになる。
尾崎は、第二次大戦後まで長く議員活動を続けた。憲政の父とも評された人だ。

賀状の宛先は宮崎嘉助となっている。年代から計算すると、実際は4代嘉助(1845-1925)宛てと思われる。
5代宮崎嘉助(祖父)の日記には、その後も尾崎行雄を支援したこと、また尾崎氏が、九鬼での演説会のため来村した昭和10年10月には、嘉助は家に招待して演説会の前に休憩をとって貰ったことが記されている。

 

(葉書をクリックすると拡大表示)

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